<櫛引氷川神社>
創建は第百代後小松天皇の御代應永5年(1398)、大宮氷川神社から櫛引村住民の平安と五穀豊穣を祈り分霊され村の鎮守としたと伝えられています。 明治39年8月の神社合祀令により、明治40年6月5日「日進神社」に合祀され、跡地は政令に従い処分されましたが、大正3年3月3日現在地に遥拝所(ようはいじょ) (遠く離れて拝む場所) を建立し殿宇を荒廃から守ってきたそうです。
その後櫛引村住民の強い要望等により、神社設立の手続きを経て昭和51年12月17日、日進神社より合祀神霊を奉遷、社号も櫛引氷川神社と定め再興されました。 鳥居をくぐると左側に、江戸末期に神主であり、幕末には「平春堂」という私塾をひらいた平正彦(渋谷勝平)の歌碑があり、拝殿の天井には、彼の手になる龍の絵が描かれています。
平正彦(渋谷勝平)は、櫛引村の名主であった、渋谷六郎右衛門の子で、幼少より書に親しみ、江戸の国学者、平田篤胤の門人となり神道を究め、神主となった人物です。彼がひらいた「平春堂」で、多くの村人が読み書きを学びました。
かっては、杉や松、もみなどが生茂っていた境内林でしたが、今は境内に数本の木が残るのみです。
また境内には庖瘡神や八幡神社なども祀られています。 (「大宮をあるくⅡ」市編纂より)