このサイトを訪問された方

565711ご訪問ありがとうございます。
 
 
ゴミネット・街灯・備品の注文

自治会の
子ども会行事に
参加しませんか?

 
今年も自治会における子ども会活動が始まります。
よく「子ども会に入らないと行事に参加できないのか」と自治会員の方からのお声があります。正解は、自治会員のお子さまは、全て「自治会子ども会員」であり、全ての行事にご参加頂けるのです。そして育成部を含め、自治会に属する者のもっとも重要な役割は、災害時に、小中学校と連携しながら、当地域の子ども達の安全を守る事です。

 しかし、昨今、個人情報法の制定により、小中学校では連絡網さえ配布されていません。そのため、当自治会では「青空子ども会行事」に参加しているお子さまの所在は把握しておりますが、子ども会行事に参加されない場合は、地域のお子さまの所在すらわからない状況です。日頃の地域の繋がりを深めるためにも、是非「自治会子ども会行事」にご参加ください。楽しい子ども会の思い出を沢山用意してお待ちしております。

 また、自治会にご加入したい方は当フォームまたはお近くの組長様にご連絡ください。

 

ご注意ください!

 







近隣地域において県警や小中学校から、不審者についての情報が多発し
ています。
熊谷における事件など、地域コミュニティー以外の犯人による痛ましい事件がおこったことは記憶に新しいことです。
 小さなお子様やお年寄りなど弱者におかれましては、十分な注意を行って頂きますようお願いいたします。
 県警からの連絡は
こちらご確認ください
 
電子書店(枠内にワード入力)

櫛引氷川神社

<櫛引氷川神社>

       

 創建は第百代後小松天皇の御代應永5年(1398)、大宮氷川神社から櫛引村住民の平安と五穀豊穣を祈り分霊され村の鎮守としたと伝えられています。 

 明治39年8月の神社合祀令により、明治40年6月5日「日進神社」に合祀され、跡地は政令に従い処分されましたが、大正3年3月3日現在地に遥拝所(ようはいじょ) (遠く離れて拝む場所) を建立し殿宇を荒廃から守ってきたそうです。

 その後櫛引村住民の強い要望等により、神社設立の手続きを経て昭和51年12月17日、日進神社より合祀神霊を奉遷、社号も櫛引氷川神社と定め再興されました。


 鳥居をくぐると左側に、江戸末期に神主であり、幕末には「平春堂」という私塾をひらいた平正彦(渋谷勝平)の歌碑があり、拝殿の天井には、彼の手になる龍の絵が描かれています。

 平正彦(渋谷勝平)は、櫛引村の名主であった、渋谷六郎右衛門の子で、幼少より書に親しみ、江戸の国学者、平田篤胤の門人となり神道を究め、神主となった人物です。彼がひらいた「平春堂」で、多くの村人が読み書きを学びました。

 かっては、杉や松、もみなどが生茂っていた境内林でしたが、今は境内に数本の木が残るのみです。
 また境内には庖瘡神や八幡神社なども祀られています。                                (「大宮をあるくⅡ」市編纂より)








      


 

庚申塔・馬頭観音・観音堂

<庚申塔・馬頭観音>

 櫛引氷川神社境内につながる道は古道で、その道を 北に進んだ十字路には、正徳4年(1714)に建立された笠付の「庚申塔」があります。その脇には「馬頭観音」の角柱塔があり、古の道の賑わいを物語ります。
(「大宮をあるくⅡ」市編纂より)





<観音堂>

庚申塔を左に折れてしばらく歩くと、千手観音を本尊に祀る「観音堂」があります。古には八重姫が植えたとされる、2本の槻(つき)の大木があったとされます。
 この大木について、先の平正彦(渋谷勝平)が詠んだ歌碑が堂前に残っています。


 境内には鎌倉~室町時代の板石塔婆が69基、コの字型に並べられています。

 また、瓦葺だった頃の「観音堂」は、自治会館が建てられる前は、地区の集会やPTAの集まりに利用されていたそうです。 (「大宮をあるくⅡ」市編纂より)


ページの先頭に戻る